今朝は靄が出て湿度全開で歩きづらかった~(*´Д`)
長袖をまくり上げ、腕や襟周りが汗汗💦
ウォーキング中、街中でトヨタ セリカ 2000GT リフトバックを発見!
確か.1973年高3の18歳の頃に話題沸騰した人気車セリカ
縦5本のテールランプと人気を二分化したスカイラインの丸目テールランプ!
自分は結局、愛の~スカイライン🎶のテール丸目を選んだけどね(*^-^*)
あーだったな、こうだったな、なんて思いだしながらの朝トレウォークでした!
朝トレウォーク(5:34–7:01)129回目の実績は
1kmペース:9分31秒 スピード:平均時速6.2km 歩数:11,979歩
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ようこそ!! COMPE 104 おやじのブログヘ。
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COMPE 104と言う命名した理由
時々お客様から、お店の名前はなんでCOMPE104なの?!と聞かれます。
その時代、渋谷109が流行り出して数字の名前が良いなと考えた時
自分の名前がイチムラヨシジなので164?!語呂が合わないな?
自分はスキーのガイダンス、ガイダンスと言えば電話の104の電話番号
そう自分はスキーを楽しませる上達に導く案内人として104に、
そしてタイミング良く、会社の登記とお店のOPENを10月4日に合わせて
COMPE(コンペ)はCOMPETITION(競争・競技志向)の店にという方向性で
と言う訳で『COMPE 104』と言う命名にしたのが理由です。
今日10月4日は、1990年COMPE 104の会社登記と
お店のOPEN1992年10月4日、30年ANNIVERSARY記念日です💐
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サラリーマンからスキーショップのオーナーへ転身!?
就職試験3社をことごとく落ちて、
担任の先生から、日立製作所だったら必ず入れるよと言われたが
卒業して製材業?!木を切る仕事は嫌だなと思い断った!
後で製材所ではなくて上場しているスペシャル大企業日立だったんですね!!
そんなこんなで仕方なく
親戚が副社長だった地元スーパー(辞めた頃:年商280億)に就職した。
スーパーの雑貨部門に配属したが、5年でホームセンターのバイヤーや店舗管理職に、
辞めるきっかけになったのは?スポーツとインテリア雑貨のバイヤーの時
『テニスラケットやスキー板を味噌や醤油と思い、手を掛けないで売りなさい』と副社長から
反感して悶々としていた頃、商談時にASICSの営業マンから
『今、スキーのメンテナンス(チューンナップ)が凄く忙しくて、業界間に合わないんですよ』と
スキーのチューンナップ?!なにそれ、百聞は一見に如かずと思い
会社に嘘をついて1週間の有休を貰い
当時柏市にあるASICS RDセンターに1週間寝泊まりして経験させて貰った!
興味深く、そして面白く、これから一生の仕事として将来性があるのかないのかを、
センター長の高木さんからスキーの話を聴いて、そして実践して
「手先が器用だね、それならチューンアップ屋出来ちゃうね」と、今思えばリップサービス(*´з`)
13年半、スーパーでは花形のバイヤーを辞め、一念発起!!
1千万の借金を抱え、庭先に木造10坪の工場でチューンナップをスタートした。
1990年と言えばバブル後期の好景気、仕事はどんどん舞い込んで作業に追われた!
サラーリーマン時代、ブヨブヨ身体73kg有った体が3か月で58kgに
近所では、「芳っちゃん、あれ病気だわ」噂になった(笑う)
痩せたのは寝る間もないほどの仕事の量と、座り仕事から立ち仕事で15kgの減量!!
あっという間に2シーズンが経った
知っての通り、自分は結構しゃべるのが好き、黙々と作業するのが辛くなった来た(>_<)
なので、お店を出したい、出そうと決意した!!
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スキーチューナップからスキー&チョーンナップショップへの変貌
建屋、在庫、資金繰り等、お金が掛かるのは分かっていたが4000万円は巨額で愕然とした!
借入するには祖祖父母の名義を親の名義にしなければならないが、
そこには大きなネック、なんと52人の実印と印鑑証明は必要だった!
半年を掛けて、知らない親戚、行ったところもない土地へ出かけ、印鑑を貰った!
同時進行で、メーカー様に商品供給のご協力を頂けるよう各社を回ったが
「バブルが終わり、スキーは衰退するので辞めたほうが良い」と言われる有様(*´з`)
言葉は違えど、他のメーカーも同じ対応で焦心苦慮!気持ちが揺れ動く
しかし、OGASAKA SKI当時の小賀坂道邦社長が事態を察しして
OGSAKA社長「じゃ、私が一緒にメーカー問屋さんを回って説得してあげる」と
本当に有難くて涙が出る程だった事を昨日の様に覚えている。
すると各メーカー問屋は一転!
メーカー「小賀坂社長がそこまで言うなら応援しましょう」
その後も七転八倒、悪戦苦闘、前途遼遠の苦難は有りましたが
1992年10月4日にショップをOPENし、30年後の現在に至っています。
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OPEN当初は、バブル景気の余韻が残って3年程は売り上げも伸びましたが、
その後は右肩下がりで危ぶまれた時期もありました(今もそうですが・・・・・・・・)
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この30年間、いろんなことがありました。
開店した当初は、
スキーは滑れない、スキーのいろはも解らず、背伸びして説明や接客した時代を思い出す(*´з`)
今思えば恥ずかしい話!何度も怪我に遭遇!!
①準指受検43歳:脹脛筋肉断裂で足と脹脛が腫れ、
ブーツ26cmのところ、28cmのブーツを履いて養成講習会に参加
②44歳:ザウスで転倒し、右肩鎖関節脱臼に肩骨折で手術2回
③45歳:薬指をLOOK P14のヒールピースに挟めて粉砕骨折で手術
④50歳:右スキーが外れ、左足で急ブレーキかけたら、左アキレス腱断裂で手術
⑤51歳:左ターンで前荷重強すぎて、右アキレス腱断裂で手術
⑥52歳:トップスピードで左スキーが外れ、左脚がプロペラ状態に
左膝・脛骨・腓骨を粉砕骨折と前十字靭帯損傷でヘリで搬送
転倒した瞬間、この世の痛みではなく言葉では表せない程だった(>_<)
ヘリの中で聴診器を当てながらドクターから
「肺に穴が空いてるかもしれないので、寝たら自立呼吸できなくて死ぬから、
この真っ青の空をずっと見ててください」と
検査の結果、肋骨6本8ヶ所骨折、やっぱり肺には穴が空いていた!
搬送先の病院では酷過ぎて手術は出来ないと言われ、3日で強制退院
その後アキレス腱断裂手術をしてくれた先生にデータを送り手術してくれることに(感謝しかない)
手術前に渋井ドクターからの言葉
「膝は120度しか曲がらないからスポーツは出来ないよ」と言われて手術室へ
手術は2回(4ヶ月の入院)その後1年間のリハビリと毎週の温泉治療
この怪我で2年間まともなスキーは出来ず(>_<)
その後リハビリと温泉治療の効果があり、3年後に技術選のスタート台に立てた!
戻って来れたことに幸せを感じ、出られるだけで涙が噴き出てきた!
欲が無く力まずに滑れたことで、なんか良い点を出せ初めてベスト10に!
選手生活の区切りを付ける大会が、新たなスタートになってしまった(‘ω’)ノ
⑦58歳:自転車で転倒、右鎖骨骨折で保存治癒
⑧60歳:TRISで転倒、前回骨折した右鎖骨骨折を手術
2回目の骨折のため、股関節から骨を抉り取り間に挟めてプレート固定(今でもプレートとビスが)
*このプレートがトレッキングの際、ベルトと干渉し擦れて痛い(>_<)
*抉り取られて凹んだ股関節が2年間痛かった
自分が一番スキーが大好きで、いつまでも雪上に立ちたい欲望があるから
また、家族の理解とサポートが有ったからと、いつも感謝仕切れない。
何回もの怪我に遭遇しても、ゲレンデに戻って来れたと思う♬
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それと、スキー初心者だった自分を
スキーの面白さや爽快さ、そして上達の道しるべを作ってくれた仲間達、
そして更なる上達を指導してくれた指導者の先生方々、
技術選手権やGS競技という別世界での出会い、
スキーに関わる全ての方々に感謝尽くせない程です。
今の自分が有るのは皆様のお蔭と、本当にありがとうございます(*´з`)
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設立から32年、OPENから30年!COMPE 104の道筋はどうすべきか?
スキー人口の減少とスキーヤー年齢の右肩上がりは止まらない中、
スキーマーケットは確実にが冷え込んでいる!
コアのスキーヤーの皆様やゆとり世代のシニアスキーヤーの方々に
生涯スキーの楽しさの追求と更に上達できると技術の提供!
一般スキーヤーの方々に1.2級を取得してスキーの真の醍醐味をして貰える雪上活動
コロナ過もあり本当に難しい時代の中、緊張感と危機感が漂っています。
前々から発信しているように、店内活動やネット情報提供のインドアからスキー場の雪上へ
ハード面(物売り)からソフト面(技術情報提供)の最後期に来てるような感じ。
大まかな情報でなく、お一人お一人に合った情報を提供できることがカギのような?!
一番は雪上で皆さんの笑顔が観られることだと確信しています。
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自分はもう64歳、いやまだまだ64歳と思うのか?
元気な振りしていても、いつ何時病に見舞われるかもしれない年頃
コロナに十分配慮して、色んな事楽しんでいますが、全く分からない。
少しでも健康寿命が伸びる様、毎朝のトレーニングは欠かさずに
スキーに必要な体力筋力持久力の保持を肝に銘じて日常生活を送りたい
健康でスキー上達が認識できる範囲なら『まだまだ64歳』と思いたい(*^-^*)
なのでまだまだ選手生活は続く!選手目標は?
①北関東スキー技術選手権大会、最高齢更新
②全日本マスタースキー技術選手権大会、60歳~64歳の部で二連覇
③栃木県マスターズスキー技術選手権大会、4回目の総合優勝
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スキープロショップとして営んで来れたのは、
スキー大好きなお客様に支えて頂いたことだと深く感謝しています。
また、メーカー様やお取引様方の的確なアドバイスや商品のご提供が、
タイムリーに成された結果だと思っています。
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できるだけ健康に留意して
ご愛顧頂いてる皆様のサポートが出来ることを基本に、
そして、スキーの滑る楽しさと爽快さを提供できる指導者として、
31年目の今シーズンも頑張っていきたいと思います。
これからもCOMPE 104を宜しくお願い致します。