今朝はどんより曇空で冷え込みは無かった( 一一)
予報では今朝から冷え込み、山では?という話だがさほどでもない!
期待した程でもなかったので、21日OPEN予定だったゲレンデ薄っすら程
もしかしたら明日何処かOPENするかと期待していたが駄目でした(*´з`)
シーズンインしたと思ったら2週連続のオフ(カルスキには行きたくないので)
今朝の朝トレ実績 (6:26~7:32)
6時過ぎにはスタートしたかったがプチ寝坊し
平均時速:6.4km 消費カロリー:229kcal 歩数:5,965歩 1km平均:9分21秒
気温7度なのにダウン着てしまった(背中は汗ダク!)
☆
ようこそ!! COMPE 104 おやじのブログへ。
☆
2010年11月24日(水)シーズン3日目の出来事!
シーズン2日目は同乗したスキーゴルフ仲間がリフト2本目でボーダーに激突されて
直行で地元の病院へ(大事に至らず良かったのですが)
シーズン2日目でリフト2本、ストレスは溜まってしまった(>_<)
3日目は自分が企画したスペシャルデモキャンプで?!
先週の分を少しでも取り返そうと、参加者より早く滑ろうと準備していると、
デモ『そんなに焦らずゆっくりコーヒーでも飲みませんか?』
デモと楽しい会話の中コーヒーを頂いてると
参加した仲間達はキュンキュン・ギンギンとハードバーンを気持ち良く滑っていた!
それを窓越しで恨めしそうに見ていた!
早く滑りたい思いで頭の中は悶々としてきた(そんな時間3.40分)
やっと滑れるタイミングで仲間のSさんがリフトに乗ろうとしていた時
右足ブーツの裏に雪が付きヴィンディングにしっかり収まらなかったまま
自分『Sさん、ちょっと待ってて、一緒に乗ろうよ』
リフトに乗り、右足がしっかり装着されなかったことをSさんに話し
降りたら、ブーツの装着をやり直そうと思っていたが
リフトから仲間達が気持ち良く滑っている姿を見ていると
「早く早く早く滑りたい気持ちが!!!」
リフトから降りた、スケーティングした、装着し直すの忘れてしまった( 一一)
Sさん『市村さん、ブーツブーツ』と叫んでくれたらしいけど、全く聞こえなかった。
ゲレンデ中ほど迄は緩斜面だったのでクローチングで直滑降しトップスピードに
中間ポジションに構えて、左足でプレーターンし(良い感じだった)
切替後、しっかり装着されてなかった右足でエッジングした瞬間、事件が起きた!!
右足のスキーが外れ、大転倒し左胸を強打!
最悪はトップスピードの中、外れなかった左足はぐるぐる回ってしまった!
そして場外(土の上)にぶっ飛んでしまった瞬間!
今迄に痛風3回、尿路結石3回激痛を経験しているが『この世の痛みではない激痛が!!』
周りを気にすることなく呻ってしまった(信じられないあり得ない痛みで)
今でも思い出すと手が震え鳥肌が立ち涙が・・・・・
仲間『市村さん、足が変な方向に向いちゃってるよ!』
そして仲間がパトロールを呼んでくれたが
パトロール『これはダメだ、ドクターヘリを』と
その後、パトロール室に運ばれたが記憶は無く
ブーツを脱がされる時の痛みで、また記憶は戻る
痛すぎてブーツが脱げないので
自分『すみません、ブーツにお湯掛けて脱がしてください』
それでも呻りを上げる程痛かった、体は震えが止まらない!
その後、ドクターヘリに乗り込んだ!体を見た瞬間
ドクター『このままだと足曲がっちゃうので引っ張るよ』
自分『うっ、ギャー』二度目のこの世の痛みではない激痛が!
しかし、飛び立たない(かなりの時間)
痛みは治まることは無かった!
ドクター二人、群馬県内の病院にヘリの受け先を探していた!
話を小耳にはさんだ
ドクター『左足骨折と左胸骨折、肺気胸があるかも』
結局、引受先が見つからず、飛び立った前橋赤十字病院に向かった
ドクター『もしかして肺に穴が空いてたら自立呼吸できないかもしれないので寝るな』
『この真っ青の空を睨めつけて寝るな、寝ると死ぬぞ』と
ドクターヘリ内は暖房もなく凄く寒かった!
到着後直ぐ診察室に入ると、ミドルウェアから下は全部鋏で切られた!
レントゲンとCT、そしてMRI検査の結果、
ドクター『脛骨と腓骨の粉砕骨折、肋骨5本8か所骨折、そして折れた肋骨が
肺に刺さってる肺気胸のため当院では手術できません、直ぐ転院してください』と
息子『泣きじゃくって何とかしてくださいよ』と
自分『すみません、この痛みだけ取ってください』と頼んだ
痛みを抑える点滴で少しずつ柔らんできた(*´з`)
痛みを抑える為、病院に二泊させて貰った。
その間、今まで左右のアキレス腱断裂などでお世話になった街内の病院にデータを見て貰ったら
渋井先生『自分がやる、直ぐ転院してください』と連絡があった。
息子の運転で今は無き山王病院へ
渋井先生『生活出来る様にはするが、好きなスキーと好きなゴルフはもうできないからね』と
言われて手術室に入った、4時間ほど掛かった
その時は仕方ない、歩ける様になればなんとかなると思った!
手術室から出て麻酔が取れて自分の足を見たら足はキカイダーだった!
大腿骨に2本、脛骨に2本、太さ1cm程の串が刺されて横バーが2本が装着された
装外固定という手術だった。
自分『なんじゃこりゃ』と驚いた!
そんな怪我でもある奇跡が!
渋井先生『脛骨と腓骨の間に神経が通ってるんだけど切れてなかった』
『あの粉砕骨折だったら切れる、奇跡だね!』と
神経が切れていたら指先が動かないらしい(本当に良かった)
1か月程で装外固定を外す手術、そしてギプス固定2か月
年を越し、3.11の直前で退院、3か月の入院生活だった!
3か月間、160度で固定してしまったのでそこからのリハビリはキツカッタ!!
病院で毎日のリハビリ、休みは毎回1時間ほどかけ温泉治療に通った。
それは、好きなスキーもしたい、好きなゴルフもしたい
一番は家族に迷惑ばかりかけたくないし、治って家族のためにと
その年末まで頑張った結果、シーズン終わる5月に怪我後の初滑りが出来た(^_^.)
しかし、膝はあり得ないほど腫れあがり、毎回雪でアイシングして帰るのが日課に
そして膝のMRI検査結果は
前十字靭帯3分の2が伸びきって機能していない状態だった!
切れていないのでACL装具を装着して滑ることに
翌シーズンは、まともに滑れないので大会にはエントリーせず、リハビリ滑降に勤しんだ
この頃から、今では生活習慣の一環となっている朝トレ&ウォークが始まった
怪我した翌々シーズン
大会に出たい、出ても点数うが出ない、恥の滑りを露呈するだけかもと、
でも、諦め切れない自分がいたため『もうその滑りじゃ点数は出ないよ』と言われるため参加した。
ビブを付けてスタートに立とうとしたら嬉しくて涙が溢れてきた!
嬉しかったのもあるが、家内に対しての感謝の気持ちが・・・・・・・。
スタートに立てる喜びで全く力みもなく無難に大会を終えた!
『もうその滑りじゃ点数は出ないよ』と言われるため出た大会が?!
なんと、なんと初のシングル9位!自分がビックリ!!
繊手引退のはずが、まさか2回目のスキー選手生活がスタートしてしまったのだ!
それから4年間のシングル実績(54歳~57歳)
そんなこんなで62歳の今でも選手、元気な自分に至ります。
10年経った今、少しあの痛みが忘れかけている自分に言い聞かせる意味で、
あの痛みを忘れないように、
今では怪我する前はしていなかった
朝一のストレッチや朝一の滑りとポジションをチェックは必須
あの痛みを思い出すことで、怪我の無い楽しいスキースタイルを形成できると思い(~_~)
今回は10年の節目に、自分に鞭を入れるために!
1990年11月24日(水)丸沼スキー場イエローコースの大転倒からの大怪我を呟きました。
うっかりが大怪我に繋がるので
慎重にそして真剣に、十分に留意して2020-21シーズンを楽しみたいと思います。
ツマラナイ話を最後まで聞いて頂き、ありがとうございました(*´ω`)